四国八十八ヶ所巡りのゴールはどこ?4つの終着地をわかりやすく解説

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雑学

四国八十八ヶ所を巡る信仰の旅。

では、その「ゴール」とされる場所はどこなのでしょうか?

実は、巡礼の最終地点と考えられている場所はいくつか存在し、「大窪寺」「霊山寺」「高野山」「東寺」と、大きく4つのスポットが挙げられます。

この記事では、それぞれの終着地が“ゴール”とされる理由をわかりやすく解説。

また、「結願」「満願」「成満」といった関連用語の意味もあわせてご紹介します。

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四国八十八ヶ所巡礼とは?

「四国八十八ヶ所巡礼(しこくはちじゅうはっかしょじゅんれい)」とは、四国各地に点在する88の霊場を巡る信仰の旅のこと。

これらの霊場は、弘法大師・空海(774〜835年)と深い縁を持つ寺院で構成されており、彼の足跡をたどるように巡ることから、古くから多くの人々が修行や祈りの目的で訪れてきました。

「四国遍路」や「お遍路さん」「お四国さん」といった愛称でも親しまれており、今もなお、老若男女問わず多くの巡礼者がこの道を歩んでいます。

各霊場は「札所(ふだしょ)」と呼ばれ、巡礼者は参拝の証として「納札(おさめふだ)」を納めます。

札所には1番から88番まで番号が振られており、たとえば、

  • 第1番札所:霊山寺(りょうぜんじ)
  • 第2番札所:極楽寺
  • 第88番札所:大窪寺(おおくぼじ)

というように順番が決まっています。

巡る順序に厳密な決まりはありませんが、一般的には1番札所から順に進む「順打ち(じゅんうち)」が主流。

その場合、最終地点は第88番の大窪寺となります。

一方、88番から逆にたどる方法を「逆打ち(ぎゃくうち)」といい、この場合のゴールは第1番札所の霊山寺となります。

四国八十八ヶ所巡礼のゴールはどこ?4つの終着地を徹底解説

四国八十八ヶ所を巡る旅では、「どこから始めるか」だけでなく、「どこで終えるか」も重要な意味を持ちます。

特に、札所を番号順に巡る「順打ち」の場合、最後にたどり着く地は、巡礼者にとって特別な意味を持つ終着地となります。

巡礼の出発点となる第1番札所は「発願寺(ほつがんじ)」と呼ばれ、ここで巡礼への願いを立てて旅が始まります。

そして、88番目の札所は「結願寺(けちがんじ)」とされ、すべての札所を巡った証となる地点です。

「発願」とは、巡礼を始めるにあたって願いを起こすこと。

「結願」は、その願いを胸に巡った88ヶ所すべての札所を無事に巡り終えたことを意味します。

さらに、「満願(まんがん)」という言葉もありますが、これは単に88ヶ所を巡ったことだけを指すのではなく、巡礼の旅の最後に弘法大師・空海が今なお瞑想を続けているとされる和歌山県・高野山奥の院へお礼参りをすることで、霊的にも巡礼が完結する、という深い意味が込められています。

このように、巡礼の「ゴール」とされる地にはいくつかの選択肢があり、代表的な4つが以下の通りです:

  • 香川県の大窪寺(おおくぼじ)
  • 徳島県の霊山寺(りょうぜんじ)
  • 和歌山県の高野山 奥の院
  • 京都府の東寺(とうじ)

いずれも、それぞれに信仰的・歴史的な意味があり、「ここで旅を締めくくる」という巡礼者の思いに応えてくれる場所となっています。

次章では、これら4つの終着地がなぜ巡礼のゴールとされるのか、その理由や背景を詳しくご紹介します。

大窪寺が「最後の札所」とされる理由とは?

四国八十八ヶ所を順番通りに巡る「順打ち」の巡礼では、最初に訪れるのが一番札所の霊山寺(りょうぜんじ)、そして最後にたどり着くのが八十八番札所の大窪寺(おおくぼじ)です。

この巡拝ルートにおいて、大窪寺は「結願寺(けちがんじ)」と呼ばれ、巡礼を終える象徴的な場所とされています。

ここでは、すべてのお寺を巡った証として「結願証(けちがんしょう)」を受け取ることができ、多くの巡礼者にとって心の区切りとなる特別なスポットです。

巡礼を終えた達成感とともに、大窪寺をゴールとして旅を締めくくる人も少なくありません。

なぜ霊山寺が「もう一つの最終目的地」とされるのか?

一方で、大窪寺で八十八ヶ所すべての札所を巡ったあと、再び一番札所の霊山寺へ戻る人もいます。

これは「お礼参り」と呼ばれ、無事に巡礼を終えられたことへの感謝を込めた風習です。

このお礼参りを通じて、霊山寺では「満願証(まんがんしょう)」を授かることができます。

ただし、この霊山寺への再訪は必須ではなく、「正式な満願」は高野山の奥之院まで参拝してこそ成り立つという考え方も存在します。

なお、霊山寺へのお礼参りという文化は、戦後になってから広まったとされており、「出発点に戻る=四国を一周した」という象徴的な意味を持つとも言われています。

高野山奥の院が四国巡礼の“本当の終着地”とされる理由

四国八十八ヶ所を開いた弘法大師・空海は、今もなお高野山奥の院で深い瞑想に入っていると信じられています。

この瞑想は「入定(にゅうじょう)」と呼ばれ、無我の境地に至るための修行のひとつ。

弘法大師は、悟りの中で永遠に人々を見守り、導き続けていると考えられているのです。

そのため、八十八ヶ所すべてを巡った後に高野山奥の院を訪れることは、「満願(まんがん)」と呼ばれ、巡礼の精神的なゴールとされています。

実際、多くの巡礼者がこの奥の院を“真の最終地点”として選び、感謝の祈りを捧げて旅を締めくくっています。

また、巡礼の始まりに高野山を訪れ、弘法大師に旅の無事を祈願してから出発し、最後に再び奥の院でお礼参りをするという巡礼スタイルも広く見られます。

こうすることで、旅の始まりと終わりが弘法大師のもとでつながり、巡礼の意義がより深まるのです。

なぜ東寺が「最後の地」とされるのか?

京都・東寺(とうじ)は、平安時代に創建された由緒ある寺院です。

第52代嵯峨天皇より弘法大師・空海に下賜され、以来、真言密教の総本山として長く信仰を集めてきました。

空海が真言宗の教えを広める拠点としたことから、東寺は「真言密教のはじまりの地」として知られています。

そのため、四国八十八ヶ所巡礼を結願(けちがん)した後に、東寺を訪れて締めくくりとする巡礼者も少なくありません。

とくに、四国88ヶ所すべてを巡ったのちに高野山をお礼参りし、さらに東寺に参拝することで、修行のすべてを成し遂げた「成満(じょうまん)」とされます。

東寺では、その証として「成満証」が授与されることもあり、多くの巡礼者にとって特別なゴールとなっているのです。

また、中には巡礼のスタート地点として東寺を訪れ、四国八十八ヶ所を巡ったあとに再び東寺に戻る「原点回帰の巡礼」を行う人もいます。

はじまりと終わりを同じ場所にすることで、より深い意味を持たせているのです。

このように東寺は、四国遍路の「最後の地」としてだけでなく、信仰の出発点でもあり、精神的な旅路の円環を象徴する特別な霊場といえるでしょう。

まとめ

四国八十八ヶ所巡礼の「最後の地」について、少しでもイメージが深まったでしょうか。

順打ちなら香川県の大窪寺、逆打ちであれば出発地点である徳島の霊山寺が終着地になります。

また、巡礼後に高野山や東寺へ足を運び、旅を「成満」として締めくくる方も多くいます。

このように、どこを「ゴール」とするかには明確な正解はなく、それぞれの巡礼者が思いを込めて選ぶ、個人の信仰や祈りのかたちなのです。

とはいえ、88の札所をすべて巡りきること自体が、すでに大きな意義を持っています。

どこを終着とするにせよ、その道のりを歩みとおしたという体験こそが、何よりも尊く、心に残る功徳ではないでしょうか。

 

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