あなたは、なぜ日本に天皇がいるのか、そしてそのルーツについて考えたことはありますか?
今回は、天皇制の歴史を紐解きながら、その意味を一緒に考えていきましょう。
天皇制の歴史
天皇の始まり
日本の歴史書によると、初代天皇とされる神武天皇(じんむてんのう)は紀元前660年に即位したとされています。
伝承では、現在の奈良県にあたる大和の地を治め、橿原神宮(かしはらじんぐう)で即位したと伝えられています。
神武天皇は日本という国の始まりを象徴する存在として語り継がれてきました。
明治時代になると、政府は神武天皇の即位日を国の始まりとして重視し、1873年(明治5年)に「紀元節」という祝日を定めました。
この祝日は戦後に一度廃止されましたが、現在は「建国記念の日」として形を変えて受け継がれています。
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天皇の役割の移り変わり
天皇の役割は時代とともに大きく変化してきました。
奈良〜平安時代
奈良時代(710年~794年)までは、天皇は実際の政治を担う指導者でした。
ですが平安時代(794年~1185年)に入ると、政治の実権は次第に藤原氏を中心とする摂関家に移っていきました。
摂関家は幼い天皇や成人した天皇を補佐する立場として、摂政や関白という役職に就きました。
表向きは天皇を支える立場でしたが、実際には天皇の権威を借りて自らの力を強めていったとも言われています。
鎌倉時代
さらに時代が進み、鎌倉時代(1185年~1333年)になると、政治の実権は武家に移りました。
鎌倉幕府が政治を動かす中心となり、天皇の政治的な力は限られたものとなっていったのです。
とはいえ、天皇は依然として特別な存在として認められ続け、幕府も重要な決定には天皇の承認を必要としていました。
江戸時代
江戸時代(1603年~1868年)になると、政治の実権は完全に江戸幕府に移り、天皇は公家への位の授与など、限られた役割を担うようになりました。
とはいえ、外国との重要な条約を結ぶ際には、依然として天皇の同意が必要とされていました。
ところが1858年、当時の孝明天皇(こうめいてんのう・1831年~1867年)の承認を得ないまま、幕府は日米修好通商条約を結んでしまいます。
この条約には日本に不利な内容が含まれており、さらに孝明天皇自身が開国に反対していたこともあって、幕府への不満が一気に高まりました。
この出来事をきっかけに、「天皇を敬い、外国の勢力を追い払おう」という尊王攘夷の考えが広まっていきました。
その結果、幕府を支持する人々と、幕府に代わって天皇中心の政治を目指す人々との対立が深まり、最終的には後者が勝利を収めます。
1867年、幕府は朝廷に政治の実権を返す「大政奉還」を行い、約260年続いた幕府政治に幕を下ろしました。
これが「明治維新」の始まりです。
明治〜現在
明治時代に入ると、新しく作られた明治政府は天皇を国の主権者として位置づけ、大日本帝国憲法でその地位を明確にしました。
1890年(明治23年)には「教育勅語」が発表されます。
これは天皇が国民に向けて述べた教育の指針で、親孝行や夫婦の和、学問への励み、社会への貢献といった道徳的な教えが込められていました。
ですが、この教育勅語は後の昭和時代に入ると、軍国主義教育に利用されていきます。
特に「義勇」(正しい勇気を持って国に尽くすこと)という考えは、「国と天皇のために命を捧げる」という形で解釈されるようになりました。
また戦時中は、天皇を「現人神」(あらびとがみ・人間でありながら神である存在)として崇める教育も行われました。
そして1945年、日本が第二次世界大戦で敗れると、天皇自身によって玉音放送(ぎょくおんほうそう)が行われ、国民に敗戦が伝えられることとなったのです。
また1946年(昭和21年)の元日、昭和天皇は「人間宣言」を発表し、それまでの「天皇は神である」という考え方を自ら否定しました。
その後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から新しい憲法の案が示されます。
その案をもとに作られた日本国憲法では、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定められました。
これにより、天皇の役割は政治とは切り離され、国事行為を中心とした活動に変わっていきました。
国事行為とは、国会の招集をしたり、内閣総理大臣を任命したり、法律や条令を公布したりといった、国の公式な行事に関わることを指します。
また、天皇は次のような公的な活動も行っています。
このように天皇の役割は、時代とともに大きく変化してきました。
奈良時代には国を治める指導者でしたが、平安時代以降は政治的な権力を持たない権威ある存在となりました。
明治維新後には国の元首として位置づけられ、戦時中には「現人神」とされましたが、戦後は日本国憲法のもと、政治とは距離を置きながら、国民と共に歩む「象徴」としての道を歩んでいます。
天皇の歴史をさかのぼると?
現在の天皇である徳仁(なるひと)陛下は、第126代目の天皇とされています。
では、天皇家の歴史は、どこまでさかのぼることができるのでしょうか。
日本最古の歴史書である『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)によると、初代天皇とされる神武天皇は紀元前660年2月11日に即位したと伝えられています。
これらの書物には、神武天皇は神々の世界「高天原」を治めていた天照大御神の子孫だと記されています。
神武天皇については、現在の宮崎県にあたる日向の国(ひゅうがのくに)で生まれ、「127歳まで生きた」と伝えられているのですが……
この年齢からも分かるように、実在の人物というよりも、神話や伝説の中の存在として考えられているんですね。
さらに興味深いのは、第2代から第9代までの天皇について、名前や生没年などの基本的な情報は伝わっているものの、具体的な出来事の記録がほとんど残されていないことです。
この期間は「欠史八代(けっしはちだい)」と呼ばれ、後世に作られた可能性が高いと考えられています。
第10代以降の天皇についても、実際の存在を裏付ける確かな記録は見つかっていません。
歴史的な記録から実在が確認できる最も古い天皇は、第26代の継体天皇(けいたいてんのう)とされています。
継体天皇は現在の滋賀県あたりで生まれ、5世紀後半から6世紀前半まで生きていたと考えられています。
このように、天皇家の始まりについては、神話と歴史が深く結びついていて、どこからが史実なのかを明確に区分けすることは難しいです。
ただ、少なくとも1500年以上の歴史を持つ世界でも稀有な存在といえるでしょう。
まとめ|天皇のルーツを探る
「天皇はどこからやって来たのか」という素朴な疑問を、多くの人が持っているのではないでしょうか。
神話の世界では、天皇家は天照大御神につながる存在として語られています。
ですが興味深いことに、初代天皇とされる神武天皇は、神々の住まう高天原ではなく、日本の地で生まれたとされているんですね。
また、歴史上の人物として実在が確認されている最古の天皇、継体天皇についても、日本で生まれ育ったことが記録に残されています。
このように、天皇家は日本の土地と深く結びついた存在として語り継がれてきました。
現在の天皇である徳仁陛下は第126代目とされ、その歴史は2600年以上にもおよぶと伝えられています。
古代の天皇の多くについては、実在したかどうかを確かめることは難しく、神話や伝説として語られているのが現状です。
ですが、考古学の発展によって新しい発見が重ねられることで、これまで謎に包まれていた古代の天皇についても、少しずつ実像が明らかになっていく可能性があります。