「日本」の11個の別名とその由来

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雑学

一般的に私たちはこの国を「日本」と呼んでいますが、実は日本にはさまざまな別名が存在します。

この記事では、日本の様々な呼び名や、それらがどのようにして生まれたのかについて解説します。

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日本の異名や別称とは?

以下では、日本にまつわるいくつかの代表的な別名を紹介していきます。

倭(わ、やまと)

この名前は紀元前から用いられており、中国では日本のことを「倭」と表記していました。

中国語では「うぇい」や「ぅおー」といった発音で呼ばれていたようです。

日本でも古代には自らを「倭国」と呼ぶことがありました。

しかし、「倭」という字には「衰える」「従順な」といったネガティブな意味も含まれており、これが国名として適切でないとの考えから、後に「大和」や「日本」という名前へと変化しました。

また、「倭」が「やまと」と読まれるようになった経緯には、もともと「やまと」と呼ばれていた地域に中国の漢字が導入され、「倭」と表記されるようになったという説や、地形的特徴が名前に反映されたとする説などがあります。

大和

「大和」とは、「やまと」と読まれ、日本の伝統的な美称です。

美称とは、美しさや洗練を象徴する名前のことを指し、洗練された、礼儀正しく、優雅などの意味が含まれます。

3世紀頃、現在の奈良県が「大和の国」と呼ばれており、この時期に最も力を持っていたのが「ヤマト王権」です。

この王権は奈良を中心に国を統治し、次第に日本全土が「やまと」と呼ばれるようになりました。

飛鳥時代の終わりから奈良時代の始まりにかけて、元明天皇の時代には「好字二字化令(713年)」が発布されました。

この法令は、地名を吉祥の意味を持つ二文字の漢字で表記するよう定めたものです。

この改名の結果、「倭」に「大」の字を加え「大倭」となり、やがて「大和」へと変わりました。

さらに、「和」は「倭」の字を簡略化したものとも言われており、そこから「大和」という名前が定着したとされています。

日出る国

この言葉は「ひいづるくに」とも読まれ、日本の称賛的な呼び名です。

称賛的な呼び名とは、何かを褒めるために使われる表現のことです。

この表現は「日出処」とも呼ばれます。

日本が「倭」と称されていた時代、聖徳太子(574年〜622年)は隋(現在の中国)の皇帝に対して

日出処天子至書日没処天子無恙・・・」

(日出処の天子から日没する処の天子へ)

という内容の文書を送りました。

この文書によれば、隋から見ると日本は太陽が昇る方向にあるため「日出処(日の出る国)」と呼ばれ、太陽が沈む隋を「日没する処」と表現しました。

また、聖徳太子はこの文書で、中国の皇帝が使う「天子」という称号を使用し、中国と対等の立場を主張しました。

この「日出処」は「日の本(ひのもと)」とも呼ばれ、後に「日本」という国名の由来となったと言われています。

葦原中国

あしはらのなかつくに」と読むこの言葉は、日本の古名です。他に「葦原中津国」や「豊葦原中国」とも表記されます。

日本神話において、葦原中国は天上の国である高天原(神々が住む場所)と、死後の世界を意味する黄泉の国(よみのくに)の間に位置する世界とされています。

この世界は、実際の日本の象徴とされています。

瑞穂の国

この呼称は「みずほのくに」と発音され、日本の美称です。

瑞穂とは豊かな稲穂を指し、日本が稲作に適した土地であることから、この名前がつけられました。

日本書紀』(720年編纂)には「豊葦原千五百秋瑞穂国」と記されており、これは稲が豊富に実る国という意味です。

敷島

しきしま」という言葉は、日本の古い呼び名です。

他の表記には「敷嶌」「式島」「磯城島」があり、これらも全て「しきしま」と読みます。

この名前は、第10代天皇である崇神天皇の皇居があった磯城(現在の奈良県)から来ており、磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)が特に有名です。

ここでの「島」という言葉は、海に囲まれた土地を意味するのではなく、天皇が治める領域を指す言葉です。

このため、「しきしま」は日本全土を指す言葉として使われています。

言霊の幸う国

この言葉は「ことだまのさきわうくに」と読まれ、日本の美称です。

言霊とは、言葉に宿るとされる神秘的な力のことを指し、日本文化においては言葉の持つ影響力が重視されています。

日本最古の和歌集『万葉集』(759年完成)には、言霊の力によって祝福される国、日本を讃える和歌が数多く収められています。

その中には、柿本人麻呂が詠んだ以下のような和歌があります。

「しきしまの 大和の国は 言霊の さきはふ国ぞ まさきくありこそ」

(この日本という国は、言葉の力によって幸せがもたらされる国です。これからも平和が続くように)

秋津島

あきつしま」または「あきつじま」という言葉は、日本の古名です。

この名前は他に「秋津洲」や「蜻蛉島」としても表記されることがあります。

「秋津」は蜻蛉(とんぼ)を意味する言葉です。

日本書紀』(720年編纂)によると、神武天皇(初代天皇)がこの地を眺めた際に、連なる山々が蜻蛉が交尾するように見えたため、「素晴らしい国土を得た」と称賛し、「秋津島」と名付けたとされています。

さらに、『古事記』(712年編纂)では「大倭豊秋津島」と記され、『日本書紀』では「大日本豊秋津洲」と表記されています。

また、「あきつしま」に関連する和歌も多く、『新古今和歌集』(1205年編纂)には次のような和歌が収録されています。

三統理平

「とひかける あまのいはふね たつねてそ あきつしまには 宮はしめける」

扶桑

ふそう」とは、日本の古い名称です。

中国の伝承によれば、東方の果てに位置する島に巨大な木が存在し、「扶桑」と呼ばれていました。

この名前は日本を指す呼称として中国で使われ、影響を受けた日本でも自国を「扶桑国」と称するようになりました。

平安時代には「扶桑略記」や「扶桑集」など、扶桑の名を冠する文献が多数作成されました。

ジパング

ジパング」という名前は、13世紀にマルコ・ポーロが著した「東方見聞録」で使われました。

彼の記述によると、日本は黄金に満ち、建物までもが黄金で装飾されているとされ、これがヨーロッパで「黄金の国ジパング」として知られるようになりました。

この「ジパング」は、英語で日本を指す「JAPANの語源」の一つともされています。

八島

八島」は、「やしま」または「はちとう」と読まれる日本の雅称です。

他にも「八洲」「大八洲」「大八島」という表記が使われることもあります。

ここでの「八」という数字は、文字通りの数を表すのではなく、多くの島々が集まる日本列島を象徴しています。

古事記』(712年成立)には、次のような「八つの島」が記されています。

  • 淡路島(あわじ)
  • 四国(伊豫之二名島として記述)
  • 隠岐諸島(隱伎之三子島として記述)
  • 九州(筑紫として記述)
  • 壱岐の島(伊岐として記述)
  • 対馬(つしまとして記述)
  • 佐渡島(さどとして記述)
  • 本州(大倭豊秋津島として記述)

これらは、日本の主要な島々を表す古代の呼び名として使われています。

まとめ

日本は古くから多くの異名や別称を持ち、これらは日本の長い歴史や文化、神話と深く関連しています。

雅称や美称を通して、過去の人々が日本をどのように美しく価値ある国と捉えていたかが伝わってきます。

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