懐かしの3DOはなぜ成功を掴めなかったのか?高すぎた価格設定が命取りに

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雑学

1994年、ゲーム業界に新たな風を吹き込むと期待された「3DO」が登場しました。

当時はさまざまなゲーム機がしのぎを削る中での船出でしたが、国内での売り上げはわずか70万台ほど。

期待されていた割には、あっという間に市場から姿を消してしまいました。

一体、何が原因だったのでしょうか?

今回は、3DOが成功への道を歩めなかった理由について、じっくりとお話ししていきたいと思います。

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3DOってどんなゲーム機だった?

1994年にデビューした3DOには、とても面白い特徴がありました。

開発元のThe 3DO Companyは、自社では本体を作らず、家電メーカーにライセンスを与えて製造・販売を任せるという、当時としては珍しい方式を採用したのです。

日本では、松下電器(現パナソニック)が「3DO REAL」を、三洋電機が「3DO TRY」を発売。

どちらの機種でも同じソフトが楽しめる仕組みでした。

しかし、国内での販売実績は約72万台。

任天堂やプレイステーションといった人気ブランドが軽々と100万台を超える売り上げを記録していた時代に、この数字はいかにも寂しいものでした。

同じ時期に販売されていたメガドライブやPCエンジンも100万台以上を売り上げていたことを考えると、3DOの成績は残念ながら振るわなかったと言わざるを得ません。

それでは、なぜ3DOは期待されていたような成功を収められなかったのでしょうか。

その理由について、これから詳しく見ていきましょう。

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激戦のゲーム業界、厳しすぎた船出のタイミング

1994年3月20日、3DOはゲーム業界に大きな期待を背負って登場しました。

ただ、そのタイミングはいささか厳しいものでした。

当時、スーパーファミコンが市場で圧倒的な人気を誇っていたうえ、新しいゲーム機が次々と発売される、まさに群雄割拠の時代。

3DOに限らず、多くの新規参入組が苦戦を強いられていました。

そんな中、1994年後半になると、さらに強力なライバルが登場します。

セガの「セガサターン」と、ソニーの「プレイステーション(初代)」です。

特にプレイステーションは、それまで任天堂が握っていた王座を見事に奪取。

後継機の「プレイステーション2」まで、長きにわたって市場の覇者として君臨することになります。

セガサターンも根強いファンの支持を集め、高い売り上げを記録。

そして、スーパーファミコンもまだまだ健在でした。

さらに1996年には、待望の「NINTENDO64」も仲間入り。

振り返ってみると、3DOが市場に参入したタイミングは、まさに荒波の真っただ中だったと言えるでしょう。

新参者として注目を集めながらも、新旧の強豪たちに囲まれ、独自の地位を確立するのは想像以上に困難だったのです。

 

大きな壁となった高価格

3DOが市場で苦戦を強いられた最大の理由は、やはり価格にありました。

発売時の価格は54,800円

この金額は、同時期に登場したセガサターンやプレイステーション、さらには定番のスーパーファミコンやNINTENDO64と比べても、かなり高めに設定されていたのです。

ゲーム機を選ぶとき、多くの人が価格を重視する中で、この高額さは大きな足かせとなってしまいました。

特に、競合がひしめく市場で5万円を超える価格帯は、お客さんにとってはかなりの負担。

結果として、3DOは市場で足場を固めることができませんでした。

実は、この「高価格の罠」は後の時代にも繰り返されています。

例えば、プレイステーション3も発売当初の高価格が災いして苦戦し、任天堂のWiiに大きく水をあけられてしまいました。

最近のプレイステーション5も、同じような課題を抱えているようです。

また、ニンテンドー3DSも、発売当初は携帯機にしては高めの価格設定でした。

そのため売り上げが振るわず、すぐに値下げに踏み切ったのです。

これらの例と3DOの例は、高すぎる価格が市場での成功の妨げになることを、はっきりと示していると言えるでしょう。

 

物足りなかったソフトの数々

3DOが振るわなかったもう一つの理由は、魅力的なゲームソフトが十分になかったことです。

もし本体がもっと手に入りやすい価格だったら、より多くのゲームが開発されたかもしれません。

しかし、54,800円という高価格のせいで、多くの人の手に届きにくい存在となってしまいました。

結果として、人気の高いゲームタイトルは、スーパーファミコンやプレイステーション、セガサターンに集中。

3DOは、残念ながら見過ごされがちな存在となってしまったのです。

それでも、3DOには全部で214本のゲームソフトがリリースされました。

早々に市場から姿を消したゲーム機としては、それなりの数字かもしれません。

ただ、ライバル機と比べるとやはり見劣りしてしまいます。

さらに、海外産のゲームが多くを占め、日本のユーザーに親しみやすいタイトルが少なかったことも、より多くの人に選んでもらえなかった理由の一つだったようです。

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分かりにくかった販売の仕組み

家庭用ゲーム機が成功するためには、「分かりやすさ」がとても大切です。

特に、ゲームをあまりプレイしない人や、ライトユーザーにとって、商品選びはシンプルである方が望ましいものです。

同じ商品なのに種類が多すぎたり、それぞれの違いが曖昧だったりすると、かえって購入をためらってしまうことがあります。

3DOの場合、松下電器(現パナソニック)と三洋電機が、それぞれ独自のモデルを作って売るという珍しい方式を取りました。

これは、The 3DO Companyがライセンスを与え、各メーカーが製造・販売を行うという仕組みだったのですが、一般のお客さんにとっては、ちょっと分かりづらいものでした。

このように複雑な販売方式は、お客さんはもちろん、販売店の方々にとっても頭を悩ませる要因になってしまいました。

特に、新しい商品に慎重な態度を取りがちなライトユーザーの方々を、より遠ざけてしまう結果となったのです。

3DOの経験は、シンプルで分かりやすい販売戦略がいかに重要かを、私たちに教えてくれています。

 

まとめ|かつての3DOから学ぶこと

3DOは、すでに多くのゲーム機がしのぎを削る中で市場に参入しました。

そのタイミングは、確かに理想的とは言えなかったかもしれません。

しかし、高すぎる価格設定や分かりづらい販売方法など、会社側で工夫できたはずの部分も、残念ながら失敗の原因となっています。

もし3DOが、他のゲーム機と同じくらい、あるいはもっと手頃な価格で売られ、お客さんにとってもっと分かりやすい売り方をしていたら、その運命は大きく変わっていたかもしれません。

そうすれば、市場での競争力も高まり、より多くの人々に愛される存在になれた可能性は十分にあったと考えられます。

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